私の望むこと。
夢って。夢って漠然としてるね言葉として。私の“望み”ならなんとなく言葉にできるよ。
今、幸せ幸せって言うのがイイのよって感じの世界だけど、本当に幸せなの?
世界中のたくさんの不幸の一つ一つが自分たちの物で溢れかえる世界を形作っているって知っているのに耐えられる神経というのはもはや壊れている。だからわたしはもはや壊れている。生きている限り安息の中で常に罪悪感がつきまとう。子供みたいな極論(あれも悪、これも悪、だから駄目)がまかり通るならいいけど、全部否定したら存在不可能になる、だって生まれた瞬間に既に亡国の奴隷だったんだから、戦後量産された奴隷教育を受けた子供のそのまた子供なんだから。おかまいなしで全部否定して真実のあり方を求めたいがそんな方法がどこにあるというのだろう、周りの全ての人のおかげで私たちは生きていられる、それが真実。極論を振りかざせば確実に困る人たちも出てくる、嫌がられることこの上なし。でも。でも考える。そういう時代に生まれたのだから、そういうことを真剣に考え、生血を吸いあうような世界の中から逃れられない現実をただ単に現実なんだからしょうがないじゃないかとは言いたくない。世界平和を望んで何が悪い。世界平和というと非国民とかいろいろ言ってくれる人たちやそこに乗じて私たちはあなたと同じです私たちと世界を変えましょうとか言い出す宗教や政党にはとりあわず、自分のありたい自分を保つ為の旅を続けるしかない。先日小さな女の子から“あなたの夢は何?あなたの夢は叶ったの?”と聞かれてあまりの不意打ちに少々焦った。今度こっそりね!と回答を保留にしたまま数日が過ぎた。子供は見破る。で、どう答えればいいのだ世界平和。子供は無茶振りしてますが、でもそれに答えられない大人が多いのは真実だし、それが悪いわけではなくて、そういう風になるように教育されてきたの大人たちは。だから“子供だまし”ってのをやってしまう大人を許してあげてほしいって思う。で、私はどうするか。今、私にこんな質問をしてくれた女の子はタイミングの神様なんだろう。少しは自分の今の思いを言葉にできた。これからはもっと堂々と言おうと思う。子供たちにはもっと過酷な未来が待っているかもしれないとは言ってはならないことだ。いい未来に行くと決めてそこに向かうのが正しいやり方。何になりたいか?でしか夢を語らない大人では駄目だと思う。世界平和というのはあまりにも漠然としているから置いておくとしても、現在自分たちの置かれている、物には恵まれているけれど精神的に過酷な世界の中で一体どうありたいと思えるのか?が大事だということを、今はわからなくてもいい、だけどちゃんとその子には伝えよう。まわりを気にせずにあたりまえのことをちゃんと言葉で伝えられる人になりたいと思う。
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